ネットでつい不快なものを見てしまう行為はまったくオススメできないけど無意味とも言えないのがなんかイヤだという話

私は1990年代の終わり頃からインターネットを使い始め、ネット歴は20年以上になります。

ネットは便利ですし楽しいこともたくさんありますが、深くのめり込むほど、匿名掲示板の叩き系のスレッドや、嫌いな人のSNSアカウントや、炎上系の動画などの不快なコンテンツが目に入ることもあります。ピクシブなども、自分の好みの作品を必死に探そうとすればするほど、そのぶん地雷を踏む可能性も高くなってしまいます。

不快なものは普通にスルーできる人には無縁な話ですが、ネット民の中には、見れば不快になると分かっているものを、なぜか自分から見に行って猛烈に後悔するのだけど、それでも懲りずに同じ過ちを繰り返す人がいます。昔の私がまさにそのタイプでした。

不快なものをつい見てしまうのは、いわゆる「怖いもの見たさ」で、見れば絶対に不快になると分かっているけど、その不快さがどれほどのものか確認したいという好奇心も同時に湧いてスルーできなくなるという、冷静に考えると相当ヤバイ精神状態です。
自分にとって不利益なものも含めて、未知のものをすべて知りたいと思ってしまうのです。

全員が「不快なものをスルーする」ことができるのなら、炎上商法なんて成り立ちません。
実際に「不快!でも見ちゃう!悔しい!」という人が少なからず存在するからこそ、アクセスを稼ぐためにわざと不快な記事や動画を出す人がいるのです。

不快な記事や動画を無くしたいなら、全員が見ないこと、反応しないことを徹底すれば、投稿するほうも何も稼げないから自然に消えていくはずです。
不快だと思いながらもアクセスしてしまった時点で、こちらの負けなのです。
ですが今振り返れば、そういう嫌な経験こそ、後になって役に立っているような気もします。

たとえば私は、ツイッターには嫌な思い出がありますが、その経験があったからこそ得られた教訓も多いです。それ以外のことでも「嫌だったけど今思えば経験して良かった」と思えることがたくさんあります。怒ったり、悩んだり、必死に解決策を考えたりした思い出は、そうやって頭を使ったぶん自分の人生の糧になっているのです。

嫌な経験ほど役に立つなんて、とても皮肉なことです。
でも、楽しい経験で成長できるような機会は、残念ながら少ないです。
楽しい経験は「楽しかった!良かった!」で完結するので、それ以上の発展がありません。
嫌なことがあった時の「おぼえてろ!」という恨みこそが、次に繋がる強さになるのです。

ですが、同人引退後の私は、その「負の感情から生まれる強さ」を失ったような気がします。
同人をやめてもネットをしていれば、不快なものが目に入ることもあります。昔はそういったものに激しく感情を揺り動かされてとても苦しみましたが、今はそのような苦しみは無くなりました。

これって、今後の私の心はもう停滞して、覚醒する機会は無いということなのでしょうか。
だとしたら、たまには、今の私でも耐えられないほどの物凄い地雷原に、あえて飛び込んで刺激を得ることも必要なのかも?…いや、やっぱりそれは無いわ(´・ω・`)

もしも今現在「ネットで不快なものをつい見に行ってしまう!もうこんなことはやめたい!」と悩んでいる人がいたら、いっそ自分の心がズタズタになるまで気が済むまで見まくれば、いずれ限界を突破して、何も感じなくなってラクになれるかもしれません。

根本的な解決方法は「見ないこと」ではなく「見ても何も感じなくなるようにすること」です。
そうなればROMとして無敵です。不快なものを不快だと感じなくなれば、怖いもの見たさな好奇心も湧かなくなるので、自分から見に行くことも無くなります。

ただ、この荒療治は普通に考えて危険すぎるので、素人にはオススメしません。
みなさんは不快なものはきちんとスルーして、健やかな心で過ごしてください。

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コメント

  1. たわし より:

    ヒロコ一号さん初めまして。いつもブログを楽しく拝見しております。
    今回の記事は現在の自分にドンピシャで当てはまる内容でした。私は二次創作漫画を描いてネットで発表したり、オフイベントで本を頒布したりしているオタクです。

    twitterで苦しい日々が続き、何とか脱却できないものかとネットの海を彷徨っていたところこちらのブログに辿り着きました。twitter関連の記事のお陰で、何とかtwitterの世界から脱却を果たすことができました。本当にありがとうございました。現在はサイト上で穏やかに活動できています。きちんとtwitterで活動場所を変えることをアナウンスしたら、読者さんはついてきてくれました。twitterをやめたら二次創作を見てもらえなくなるのでは…と心配していましたが、その辺りもヒロコさんのサイト関連の記事にあった通り問題ありませんでした。見にきてくれる方は、どこまでもついてきてくれるんですね。

    オフ本もサイトに繋いでいる通販ページのみで頒布しており、現在はイベントにでずともオンライン上で全て完結する同人活動が可能になっており本当にありがたい限りです。pixivにも一応サイトで発表した漫画やログなどはまとめています。

    基本的に自分が描くものが一番好きなので、他人の作品を見なくてても大丈夫なのですが…それでもたまにpixivで自分の作品を整理などしていると「おすすめ作品」として他人の自ジャンルでの創作物が表示されるような仕様になっており、見ると地雷が潜んでいるかもしれないので何とか見ないように努めていますが、最近もう限界というか…つい魔が差して傷つくと分かっているの見そうになる自分が本当に理解し難いと悩んでいたところ、今回の記事を見て納得できました。

    同人活動を引退されてしまったヒロコさんの書かれる記事は、適度な距離感でご自分の状況を振り返っておられるので、とても参考になります。こうして客観的に「不快なものを見に行ってしまう状況」についてまとめられていると、自分はなんて愚かなのだ…と冷静になれますね。まだ不快な二次創作をわざわざ見に行ったりはしていないので、今後pixivにログインする際はより気を引き締めてかかろうと思います。

    ためになる記事をどうもありがとうございました。これからも密かに応援しております。

  2. ヒロコ1号 より:

    >たわしさん
    はじめまして。ツイッター脱却のお手伝いが少しでもできたなら良かったです。
    個人的に、ツイッターをやめたら見てもらえないという人は、ツイッターをしていてもたいして見てもらえていないのではと思っています。自分の作品を見てくれる人がちゃんといることを普段から実感できている人は、ツイッター以外で活動しても問題無いはずです。

    基本的に自分が描くものが一番好きという人は、創作界隈では珍しくないと思います。
    正直、閲覧する側から見ても、その手の「おすすめ作品」のようなシステムは「見たいものは自分で探すので勝手におすすめされても…」という感じですし、そもそも的外れだったり地雷な作品をおすすめされることも多いので、得する人がほとんどいない謎のシステムですね。

    この「不快なのに見てしまう心理」も、言葉で説明するのが難しいものです。
    でも実際に、その言葉にならない気持ちで苦しんでいる人は多いですし、そういう人達に何か言葉をかけようとしても、適切な言葉は簡単には思い浮かびません。
    そんな難しい部分に、力不足ながらも言葉で切り込みたいと思う時がたまにあります。

    たわしさんはきちんと自制して見ないようにされていて本当に凄いです。それを我慢できなかった人間の末路が今の私の状態ですので、反面教師にしてもらえればと思います。