同人活動の思い出/追悼作品をピクシブに投稿すると台無し感がある気がするのはなぜか

今も存在するのか分かりませんが、作家さんや声優さんなどが亡くなられた時に、その人の作品や演じたキャラなどを題材にした、いわゆる「追悼作品」というものが、ピクシブに溢れかえっていたこともあったなあと、ふと思い出してしまいました。

私はその手の流れには乗らないタイプだったので完全に蚊帳の外でしたが、そういった追悼作品に対して「不謹慎だ」とか「人の死をピクシブの評価稼ぎに利用している」と叩いている人も多かった記憶があります。あれは結構「荒れる話題」というヤツでした。

今の私の考えとしては、確かにブーム(?)に乗って評価を稼ごうという人も中にはいたかもしれませんが、全員がそうというわけではなかったと思います。

どんな作品もそうですが、作者が何を考えてその作品を作ったかは、作者本人にしか分からないことです。見た人がめちゃくちゃ不快になったとしても、作者本人は人を不快にさせるつもりでその作品を作ったわけではないかもしれません。
追悼の仕方も人それぞれなので、追悼作品を作るのも作らないのも個人の自由です。

ですが、今の私がこのように言えるのは、すでに同人をやめてから5年以上が過ぎて、何かが分かったような気がする精神状態になったおかげです。

現役時代の私は「ピクシブの追悼作品って評価稼ぎでしょ?そんなやり方でしか評価を稼げないなんて惨めすぎワロタw」と、怒るよりもバカにしていました。
そう思っていたから、自分は参加しなかったのです。

特に、普段評価をもらえていない人が、突然それまで触れたこともなかったジャンルの追悼作品を投稿した時は、とても純粋な気持ちで見ることなんてできませんでした。
普段から描いていたり、好きだと公言していたジャンルならまだ分かるのですが。

ともかく、追悼作品を作ること自体は悪いことではないはずなのに、なぜ反感を持つ人が少なくないのでしょうか?それはやはり「評価が付く場所に投稿する」からだと私は考えています。

ブクマやいいねが無い個人サイトなどで追悼作品を公開して、ファン同士や身内だけで追悼しているのなら、現役時代の私もバカにしたりはしないでしょう。
ブクマやいいねの数が他人から丸見えな上に、必ずしも好意的な人ばかりが見ているわけではないピクシブに、最新の話題に乗った作品を投稿すれば「評価目当て」と思われても仕方が無いのです。

ただの流行ネタならそれでも良いですが、追悼作品は人の死に関係するものなので、慎重で冷静な人ほど「作品を作ってもピクシブに投稿するのは不適切かな?」と考えるはずです。
ピクシブが無かった頃は追悼作品なんてほとんど見かけなかったのに、ピクシブでやたら増えた印象があるせいで「やはり評価目当てなのでは?」という疑いはどうしてもあります。

現役時代の私は、こういった「荒れる話題」に触れて面倒事に巻き込まれるのは嫌だったので、その手の話は全スルーでいつも通りの更新をしていました。追悼作品をピクシブに投稿する人とも、それを表立って批判する人とも、どちらとも関わらないのが一番平和です。

今の私は愚かにも首を突っ込んでいるわけですが、これも引退後だからこそできる無茶なのです。

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コメント

  1. 引退した者です より:

    ヒロコ1号さん、こんばんは。
    ハッとさせられる話題だったので、コメント失礼します。
    pixivの追悼作品に対する違和感は、私もなんとなく抱いていました。

    昔、長く二次創作していたジャンルで、作者が若くして亡くなられたことがあったのですが、その時はショック過ぎて、気持ちのやり場がなく何ヶ月もオロオロしていました。
    もちろん創作意欲も湧かなかったので、その時期に次々と投稿される追悼作品に対して、「今、創作意欲が湧くのか?人が亡くなって、それが創作意欲につながるのか?」というのが、本音を言ってしまうと、私にはよくわかりませんでした。
    当時の自分にとっては二次創作より、ファンとしての心を癒やすのが先だったので、公式のお別れ会に参加したり、他のファンと話をしたりする中で、だんだんと心が落ち着き、作者の死を受け入れて行きました。

    この時のことは、今初めて言葉にしましたが、私は追悼作品に「参加しない」というより「参加できない」タイプの人間でした。
    特に追悼作品を素早くアップしたのが、目立つ存在の人(人気の描き手や、後に商業デビューした知人など)だったので、彼女たちのモチベーションは自分と違うところにあるのだなと思いましたが、同時に違和感も感じていました。
    でもそれは自分のやっかみだろうと思い、違和感の正体が何なのか、よくわからないままでした。

    モチベーションは人それぞれですし、今も追悼作品が悪いとは思っていませんが、「評価が付く場所に投稿する」こと自体が「評価目当てでは?」という疑惑を生じさせるというのは、確かにその通りだと思います。

    私はヒロコ1号さんより少し後の世代になりますが、昨年末に同人活動を引退しました。
    (悩んでいるとき、こちらのブログがとても参考になりました。このことは、また別の機会にお伝えできたらと思います)
    個人サイトからpixiv・Twitterという流れの中で、自分が違和感を募らせていったもの、純粋に楽しむことができなくなった原因(私は最後には、同担拒否になっていました)を、今さらではありますが、知りたいと思っています。

    追悼作品とは少し性質が違いますが、例えばお祝い絵・イベントレポート・萌え語りなども全て「評価が付く場所に投稿される」ことで、「評価目当てでは?」と心の片隅で疑うようになっていたかもしれません。
    ここ数年の同人活動・オタク活動の全体を通して、自分が違和感を募らせていった原因は、このあたりにあるような気がして… とてもハッとさせられた記事でした。

  2. ヒロコ1号 より:

    >引退した者ですさん
    こんばんは。追悼作品で盛り上がることに違和感を感じる人の多くは「本当に悲しんでいる時に創作なんてできない」と仰いますね。私は、黙っていても同じ気持ちの人は多いのではないかと当時から考えていたので、そういう意味でも追悼作品なんてあまり発表しないほうがいいと思っていました。荒れると分かっているものは出さないのが賢明です。

    つまり私は、追悼作品に違和感を感じる側の人達に悪く思われないように、自分の得になるように「描かない選択をした」とも言えるわけで、それは「評価のために描く」人と実は何も変わらないのではないかと思います。本当にショックで創作どころではない人達と比べると自分の心の汚さに驚愕しますが、おそらくこれが当時の私の本心でした。

    ピクシブで追悼作品が「評価を稼げるもの」と認識されるようになってからは、誰かが亡くなると「さあ、これからピクシブで追悼ラッシュがはじまるぞw」とか「追悼ラッシュがウザイからしばらくピクシブ見るの控えよう」と言う人も出てきて、世も末だと思いつつも私もその意見に同意でした。追悼ラッシュに参加する人の心情のほうが謎でしたね。

    でも、どうして「ピクシブの追悼作品」はこんなにシラけるのか?という理由は当時はよく分かっていなくて、今になってやっと「数字が付くからだ」と気付きました。
    この他にも、今だから気付けたことがたくさんあります。たとえ時間がかかっても、自分の違和感の正体をじっくりと考えてつきとめることは意味のあることだと思います。