同人活動の思い出/個人の趣味としての同人の自由さが好きでした

大昔、私がイベントでたまたま手に取った同人誌の話をします。

それは某ゲームジャンルの二次創作漫画で、作者さんが推している女性キャラはとても丁寧に可愛く描かれていたのですが、他の男性キャラなどは棒人間やラクガキの2頭身で、作画の序列がとてもハッキリしていました。漫画の内容以上に、その絵面が面白すぎました。

漫画はストーリーの都合上、推し以外のキャラも描かないといけない時がありますが、だからと言って自分が興味の無いキャラを棒人間にする発想は私にはありませんでした。
現役時代の私は「背景は必要最低限でいいけど、キャラは全員丁寧に描かないと、そのキャラのファンが見たら不快になるよね」と考えながら漫画を描いていました。

つまり私は私で、背景は手抜きでかまわないと思っていたのです。
二次創作で力を入れるべきポイントはそこではないと考えていたからです。

一方、作画の序列がハッキリしていた同人誌の作者さんは、自分の推し以外のキャラの作画は省略していいと考えていて、それもまた趣味の同人だから許されることです。

個人で作る同人誌は作者の独断ですべてを決めることができ、出版社も担当もいません。
読者に気に入られず売れなかったとしても、生活がかかっているわけではありません。
何のために作るのかと言われれば「自分が楽しむため」というのが一番の動機です。

私は、大昔はジャンルごとに交流相手もたくさんいましたし、交流から離れたあとも作品を読んでくれる人達のことは気にかけていたので、どのキャラも丁寧に描くというのは自分自身のこだわりで楽しんでやっていました。ドマイナーなキャラを数コマだけ描いた時に、コメントで「このキャラを描いてくれて嬉しい!」と言われたのも有難い思い出です。

ちなみに冒頭でお話しした「作画の序列がハッキリしていた同人誌」ですが、作者さんの推しキャラへの愛が微笑ましかったのと、売り子をしていた作者さん本人も感じの良い方だったのでそのまま購入しました。23年間の同人歴の中でも思い出深い1冊です。

私は読み手としての思い出も多くありますが、特定のジャンルにこだわることも無くなった現在、心に残っているのは、小綺麗な本よりもどこか尖ったところのあった本です。
これこそが、素人がやりたい放題やる同人誌の魅力だと考えています。
やる内容によってはリスクもあるのですけど、それもまた愛おしいです。

自由ということはさまざまな内容があって、だからこそ地雷もあるのですが、それとは別に内容以前のこととして「自分が描きたいものだけを描いて、あとは雑でもいい!」という解放感は、商業の世界には無いもののはずです。面倒な部分はスルーして自分の快感だけを追求するのは良いなと、現役時代の私は確かにそう思っていました。

同人界隈も時代が進むと、R18の扱いがどうのこうのと昔より窮屈になった感じがしますが、基本的には「個人の趣味だからこその自由」を満喫できるものであって欲しいです。

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