同人活動の思い出/アクセス解析にまつわる思い出と今になって考えること

まだSNSが無くて個人サイトが全盛だった時代、自分のサイトにアクセス解析を付けていた人もいらっしゃったと思います。付けていた人は、アクセス解析をどれくらい気にしていましたか?
大昔の私は、気になって毎日めちゃくちゃ見ていました。
その時間を他のことに使ったほうがずっと有益なのは、頭では分かっていたのですが。

アクセス解析で分かることはたくさんあるけれど、個人の同人サイトで確認されているのは閲覧数やリンク元くらいではないかと思います。私はこれまでいろいろなアクセス解析を使ったことがありますが、毎日めちゃくちゃ見ていた割には、結局は人が来ていることが分かれば満足でしたので、それ以外の細かいデータは見方も活用方法もよく分かっていませんでした。

同人サイトでアクセス解析が使われ始めた頃、閲覧者側の人達からは「アクセス解析で個人情報がバレるのでは?」とか「監視されているみたいでサイトに行きづらい」という声もありました。
でもほとんどの管理人は「人が来てるのが分かる!ヤッター嬉しい!」としか考えていなかったと思います。そのへんは昔も今も安心して欲しいです。

一応、荒らしなどがあった時のためにアクセス解析を付けておこうという考えもありましたが、実際にそういう用途で活用した経験がある人はほとんどいないでしょう。
単純に、作品のページにアクセスがあるのを確認して楽しんでいただけでした。

ですが今になって、その解析結果は本当に自分の望み通りのものだったのか?という疑問が湧いてくるのです。うわべの数字ではなく真相について考えるようになったからです。

個人サイトにアクセス解析を付けている人の多くは、更新した作品を見てもらえているかとか、どのページが人気かなどを調べたくて付けていると思いますが、閲覧者のほうは、実は適当にリンクを押しているだけできちんと作品を見ているわけではないかもしれません。
好意的な気持ちではなく、ヲチ目的で頻繁に通ってきている可能性もあります。

多くの管理人はアクセスの数字が増えると「自分のファンが来てくれた」と喜んでしまうけど、数字が増えるのは本当に良いことなのか?作品ページに人が来ていたとして、それは本当に作品を見るためにアクセスしてくれたのか?晒されている場合でも数字はめちゃくちゃ増えるのです。

というか、晒されているほうが、まだ本当に注目されているのだから良いのかもしれません。
私達はネットを使う時「このページを真面目に見よう」と思ってアクセスすることはどれくらいあるでしょうか?実際には特に目的も無くボーッとしながら、無意識にいろんなページを開いて、こまかく見ることもなく別のところへ行くことも多いのではないでしょうか?

そういったアクセスも全部「自分の作品を見に来てくれた」「作品を気に入ってくれた」と解釈するのはどうなのか?と考えてみると、数字に一喜一憂するのは虚しいことだと気付きます。

作る側と見る側の意識のズレというものは、意外と大きいと思っています。
本当は何を思ってそのページにアクセスしたかなんて、その人にしか分かりません。
若い頃の私は本当に、中身の無い数字を異常に有難がっていたのだなあと呆れます。

SNSのいいね以上に無意味な数字だったかもしれませんね。
やはり、数字など気にせずに作品作りに集中している人が一番尊敬できます。

スポンサーリンク

当サイトはJSNレンタルサーバーで運営しています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. 七市 より:

    興味深く読ませていただきました。
    私もサイト持ちでしたが、Yahooのジオシティーズが去年サービス終了になりました。いい思い出でした。
    ホームページビルダーのライト版で作ったせいか、カウンターの付け方などさっぱりわからず、のちの忍者さんで、カウンターやアクセス解析をした時の、見てくれる人はほんとにいたんだ!という感動は今も忘れられません。拍手ツールを置いてみて、なんでもいいから感想欲しいな、なんて何回も覗きに行ったことなど昨日のようです。見る側になってみたら、どんなに素敵な作品でも、感想として表現するのって、何から語ればいいかわからなくなるし、かといって、かっこよかったですとか萌えました(萌え…も最近古いんですよね?)なんて言葉もわかりきっているしなぁと結局感想送らないんですけどね。それでも、好きなサイトさんの作品や、お絵かき掲示板を使った日常小咄や萌え語りが面白い管理人さんに惚れ込んで、日参=好きだと思ってもらいたい、そして自分にもそんな読み手さんがいてとても楽しい日々でした。
    サイトをやっている当時、2ちゃんねるのサイト関連のスレを見るのも好きで、サイトヒキスレを見て、こういうのいいなと憧れてたときもありました。サイトヒキというのは、他のどのサイトとも繋がらず(○○サーチくらいは置いているのかも)拍手や掲示板など感想を伝えるツールもなく、アクセス解析やカウンターなどもなく、日記もおかず、ただひたすら、作品のみを置いているサイトのありようです。そこのスレでは、自分の裸踊り万歳っぷりに突き抜けている方が多くて。サイト時代の交流の楽しみに浸かっていた当時の私には、凄いインパクトでした。ある意味、これが真の同人の楽しみ方ではないかな、と。自分がリアルで見つけたサイトヒキさんは、ジャンル雑多で、小説を毎日あげていて、エロはもちろん、激しく鬱展開も多く、その分、キャラクターの見方にも深みがあってと、すごく憧れていました。
    感想や誰がきたとか自分のファン発見とか表現するもの同士の交流とか、胸が高鳴りますよね。ある意味麻薬で。でも、そこに自分の感性よりも他者へのウケを気にし出したら、しんどくなってしまうのだろうなと思います。
    ピクシブやTwitterなど、人の目につきやすい創作の場はたくさんあって、HTMLなどできなくても文章を打てるブログやtumblerなどもあって、一から自分の城を作ることは、最近のオンライン同人はなくなりつつあるのでしょうね。あの時の極端にキラキラした作りから、アイフレームを使うとか、作品だけ並べた無愛想な作りにしてみるとか、サイトデザインを作る楽しみというのも懐かしいこの頃です。
    長々と自分語り失礼しました。

    いつも楽しいお話をありがとうございます。

  2. ヒロコ1号 より:

    >七市さん
    私は一番最初に作ったサイトがジオシティーズでした。その後はプロバイダのホームページサービスを使うようになり、最終的に自分でレンタルサーバーを借りるようになりました。
    当時、ホームページビルダーを使っていた人は多かったですね。私は最初から手打ちHTMLでしたので、逆にホームページビルダーの使い方はまったく知らなかったりします。

    そうそう、萌えという言葉も最近は古くなったみたいです。それでも感覚的に分かりやすい言葉なので、私はまだ使っていきたいです。私は感想文を書くのは苦にならないので、気に入ったのに感想を書けないという感覚は自分では分からないのですが、実際に感想をくれた人以外にも、私の作品を見て何かを思ってくれた人がいるかもしれないのは有難いことです。

    2ちゃんねるも大昔はよく見ていました。当時はまだ交流が好きだったのでサイトヒキへの憧れはありませんでしたが、後にツイッターで交流に嫌気がさして自分自身がサイトヒキに近い状態になった時はなかなか感慨深かったです。私の場合はポジティブな経緯ではないので自慢にはならないけど、自由にやりたくてサイトヒキになった人達は生き生きしていますね。

    個人サイトも、大昔はいろんな装飾を付けるのが流行っていましたが、時代が進むにつれてシンプルで見やすいサイトが多くなってきた気がします。自分でタグ打ちをして思い通りのデザインにできた時はとても嬉しかったです。自分の城があると安心感がありますけど、それでもサイト作りは面倒くさいので、今の若い人はあまりやりたがらないでしょうね。

  3. 匿名のK より:

    こんばんは。個人サイト時代は、私もアクセス数を見て「昨日は○人来てくれた」と喜んだりしてました。その当時から「カウンタが異常に回ってる時は、晒されてる可能性がある」という話は聞いたことがありましたが、自分のサイトは結局そういうことはなかったです。ただアクセス数が一時的に急増する時があって、それはキャラの誕生日と、公式からの新情報があった時でした。

    キャラの誕生日は、お祝い絵が間に合ってないと「せっかく来てくれたのにごめん!!」と申し訳なく思いました。公式の新情報は、私はアクセス数の急増から察することが多かったです。「何かあったな」と思い、公式サイトや他の人の日記などをすぐ確認しに行きました。どちらにしても、アクセス数を見ることで「自分の作品や日記に興味を持ってくれる人がいる」と思えたので、素直に喜んでいました。

    私は人気がある描き手でもなく、ごく小さな規模で交流していたので、その当時は「もっと見てもらいたい!人気者になってみたい!」なんて欲深く考えていましたが、今になるとあれくらいがちょうどいい湯加減でした。

    数字のマイナス面について考えるようになったのは、2010年頃、pixivに登録してからでした。評価点やブクマ数が可視化され、ランキングも発表されるという数字だらけの世界。興味津々だった一方で、自分の立ち位置(底辺)を突きつけられ疲弊していきました。それは「承認欲求」とか「評価依存」とかいうものだったのですが、当時は自分で自分のことがよくわかっていませんでした。
    今考えると、私にとってpixivの数字が苦しかったのは「誰からも見える状態だったこと」なのだと思います。サイトのアクセス解析を見られるのは自分だけだったのに対し、pixivの数字(後にはTwitterも)は、他の人からも見えています。これは個人的な感じ方ですが、底辺の自分にとって「恥をかかされている」という感覚でした。劣等感が深まると共に、数字によって「周囲から見下されてしまう」という焦りや不安も感じました。Twitterになると、フォロワー数などであからさまにマウントを取ってくる人もいて、もっとひどい状況でした。
    ほんの少数でも、自分の作品を気に入ってくれた人に感謝して喜ぶべきだったのに、それにも気づけないほど数字に振り回されていました。

    現在のpixivは、検索画面でブクマ数が表示されなくなりました。先週あたりから管理画面でも、閲覧数やブクマ数の非表示が選択できるようになりました。
    これは創作する側のメンタルにとって良いことだと思いますが、私はもうずいぶん前に
    さんざんジタバタしたので、何だか今更という気がしています。中身のない数字に一喜一憂していた自分を、世間知らずだったなと、冷めた目で思い返しています。
    ほとんどpixivの話になってしまい失礼しました。自分の世界観を大事にして、作品作りに集中することが一番尊いなと、私も今になって心底そう思います。

  4. ヒロコ1号 より:

    >匿名のKさん
    こんばんは。私は他人のサイトや公式情報も毎日こまめにチェックしていたので、自分のサイトのアクセス数で初めて新情報を知るということはありませんでしたね。
    晒されている時の回り方は、そういうのとはまったく雰囲気が違っています。直感で異常事態が起こっているのが分かります。まあそんな経験は一生しないほうが良いですが。

    現役時代は黙っていたことをカミングアウトしますが、サイト全盛期の頃から、自分は大手さんには負けるけどその辺の人よりは人気があるほうだという驕りがあり、その思いはピクシブが登場した時にさらに肥大化しました。自分より画力の高い人にランキングで勝てた時は快感でしたし、むしろ数字が外に見えることを良しとしていた時期がありました。

    数は関係無く支持してくれる人に感謝する気持ちも忘れたことはないつもりですが、それでも数字で勝ち負けを考えてしまう時は多くあり、自分でも不健全だとは思っていました。
    でも同人に夢中になっている間はどうしても冷静になれなくて、嫌いな作者に数字で勝てなかった時は怒りが湧きました。ファン活動を何だと思っていたのかと、今は呆れています。

    それにしても、現在のピクシブはそんなことになっているのですね。私も本当に今更だと感じますが、現在使っている人にとっては良いことなので、病む人が減ればいいと思います。
    現在数字中毒になっている人はピクシブからツイッターに流れた印象があるので、ピクシブのほうはそうではない落ち着いた人達に向けてサービスを充実させるのが良いでしょうね。