同人活動の思い出/地雷や解釈違いに対する批判の仕方について同人をやめてから考えてみた

同人活動をしていた頃、ジャンルの人達と交流している中でなんとなく「この人は私の作品が嫌いなのかもしれない」と察することがありました。
私の作品をあからさまにスルーしている人がいて、その人の作風とその人が褒めている人達の作風から考えて、きっと私の作品はその人の好みではないのだろうと思ったのです。

また、同カプの作品なら何でも褒めているように見えた人が、ある人にだけまったく感想を送っていないことに気付いて「あっ(察し)」となったこともあります。
同人の作り手同士の世界で特定の人をスルーする理由と言えば「その人の作品が嫌いだから」と考えるのが一番しっくり来ます。本人に確認したわけではありませんが、多分そうです。

自分にとって地雷があるのと同じように、他の人達にも当然それぞれの地雷があります。
私は相手の作品が好きでも、相手のほうは私の作品が嫌いだったということもあったし、その逆もありました。余程のことが無い限り言葉にはしないけど、ハッキリと言う時だってありました。

ところで、自分の好みじゃない二次創作を批判する時に「キャラへの愛が無いからこんな作品を作るのだ」とか「原作をちゃんと見ていないだろう」という言い方をする人は多いです。
私自身もまた、同じような言葉で他の人の作品を批判したことが何度かありました。

でも、今になって思うと、その理屈は正確なものではなかった気がするのです。

自分にとって地雷な作品を作る人も、決して「キャラへの愛が無い」わけではないはずです。
見る人を選ぶような作風も、それがその人の愛情表現なのかもしれません。
二次創作で公式の設定を間違っていたとしても、その人の中でその設定がそこまで重要ではなかったのなら、個人の妄想である二次創作としてはそういうのもナシとは言い切れません。

二次創作の内容やキャラ解釈には、好き嫌いはあっても正解や不正解は無いのではと、今の私は考えるようになりました。たとえ原作に思い入れの無い人が175目的で作った作品で、その内容は嫌われても、そういう目的で二次創作をしてはいけないかと言われたら、そこは個人の自由です。

しかも、作品を仕上げる作業の大変さを考えれば、原作やキャラが本当に好きで二次創作をしている人のほうがずっと多いはずです。だから…

「理屈なんて無い。私が気に入らないからお前の作品はダメだ」

というのが、本当に言いたかったことだったのではないかと、今は思っています。
「自分はキャラを愛していて正しい解釈の作品を作っている。相手の解釈は間違っている。相手はキャラを愛していないのだろう」という理屈は、自分を正当化して相手を叩くためのもっともらしい理由が欲しくてでっちあげただけのものではないでしょうか?

好きになるのに理由は不要ですが、嫌いになるのにも理由は要らないのです。
「自分はただ純粋に相手の作品が嫌いなのだ」というのが、きっと本当の気持ちです。
昔の私も「この作品からは愛が感じられませんね」なんて回りくどい苦情を言っていましたが、もっと言葉を考えれば良かったと今は反省しています(苦情自体は引っ込めない件)

地雷や解釈違いに文句を言いたくなった時は、この話を思い出してみてはいかがでしょうか。
とは言え、腹が立つこと自体は変わらないだろうから、あまり意味は無いのですが。

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