「ハイスクール!奇面組」原作の最終回について、約30年目の新たな発見

今回は、このブログでも何度か話題に出したことがある「奇面組」の話をします。
知らない人は置いてけぼりですみませんが、私としては現時点(2019年)で30年以上の付き合いがある作品で、数年ごとに思い出してはいろいろと考察しています。

1980年から1987年まで、週刊少年ジャンプで続けて連載された「3年奇面組」と「ハイスクール!奇面組」…と書くと、もう本当に古い作品なんだなと遠い目になります。
この後も2000年に「帰ってきたハイスクール!奇面組」や、2001年から2005年にかけて「フラッシュ!奇面組」が発表されましたが、こちらは今回は置いておきます。

ところで「奇面組」と言えば「原作最終回夢オチ騒動」です。
ここでは詳しく語りませんが「奇面組」「最終回」「夢オチ」などで検索していただければ、これ関係の話が引っかかります。ちなみに、アニメ版の最終回はテレビ向け(?)を意識してかとても無難な内容で、原作とは全然違いましたが、あれはあれで悪くないと思います。

私は11歳の時に原作最終回をジャンプで読みましたが、夢オチだとはまったく思わず、再び奇面組と出会える「ループオチ」だと自然に解釈し、一番最後のコマは見ていてワクワクしたものです。
なので成人してからネット上で、当時から夢オチだと叩かれていたと知ってとても驚きました。

私は本当に、あの最終回を読んで「最後に奇面組が来ない」というパターンを想像することがどうしてもできません。だから後になって、夢オチだと思った人のほうが多かったと知ったり、愛蔵版で零さんの影が描き足されたりした時は(あれ死ぬほど蛇足だと思います)心の底から悔しくて「どうしてみんな分からないんだ!」と、長い間ツライ思いをしていました。

なので、30歳を過ぎた頃に「奇面組」で同人活動をして、そこで初めて自分と同意見の人達と知り合えて「夢オチだと言っている人は読解力が無い!」と意気投合した時は安心したものです。

ですが最近になって、とても新鮮な意見が書かれているブログを発見しました。
ブログポリシーに「リンクフリー&承認不要」の旨が明記されていましたので、今回勝手にリンクを貼らせていただきます。不都合がありましたら削除します。

滅びゆくじじい なりそこないの昔話5~奇面組のこと(アオイホノオ第5話より)~

あの最終回が夢オチか否かという論争はよく見てきましたが、こちらのような「夢オチでもいいけど唯の夢というのがちょっと…」という意見は初めて見ました。主人公は奇面組なのだから「唯ちゃんのほうが零さんの空想」であるほうが納得が行くという発想は、私にはありませんでした。

連載当時の私は女子小学生で、その視点から見ると「奇面組」という作品は、平凡な毎日に退屈していた唯ちゃんが、面白い人達と出会って日常が楽しくなるところから始まる物語でした。
ギャグ漫画という形で誤魔化されてはいるけれど、零さんは唯ちゃんにとって「やっと出会えた理想の男子」であると考えていました。私にとって物語の主体は唯ちゃんのほうだったのです。

だから最終回が唯ちゃんのモノローグで終わっても違和感は無かったし、そもそも「3年奇面組」第1話も唯ちゃんの視点で話が始まっているので、ループして最初に繋げるのならああするしかないとも思っていました。でも、ここでふと、連載の第1話ではなくフレッシュジャンプ賞の応募作「3年奇面組参上」(正式な連載第1話の前身?)のことを思い出したのです。

この「3年奇面組参上」は、文庫版や愛蔵版などでは収録されているか私には不明ですが、ジャンプコミックスのほうでは読むことができます。
こちらのストーリーは、奇面組が先に登場して後から唯ちゃんと出会う流れなので、もしもこちらを正式な第1話とするなら、零さんの視点で終わる最終回ができたことに気付きます。

応募作である「3年奇面組参上」と連載用に描き直された話は、構成がかなり変わっています。
連載第1話がもっと違う構成になっていたら、最終回の内容も変わっていたかもしれません。

私の中に「零さんの視点で終わるほうが良かった」という発想がまったく出てこなかったのは、おそらく作中の設定と私の認識に大きな食い違いがあったからだと思われます。
私は、零さんと唯ちゃんが不釣り合いなカップルだと感じたことは一度も無いのです。

別に唯ちゃんじゃなくても零さんを好きな女子くらいいそうだよなと思っていたら生井気奈子とかも登場したし、本当に零さんを認めてくれているのは唯ちゃんだけなのか?作中で言われているほど奇面組は不憫か?奇面組の結成理由を知ってもなお、彼らは立派なリア充に見えます。
現実の本物の「虐げられている人間」に謝って欲しいレベルです。

だからあの最終回も「唯ちゃんが自分の理想の男子を夢に見て、それが正夢になる」という構図だと納得しましたし、作者が万全の状態で自信を持って発表した最終回なのだと信じていました。
でも「作者が万全の状態」という部分には、年齢を重ねるごとに疑問が湧いてきました。

だって小学生の頃は、腰痛ネタもただのギャグだと思っていたのです。それがどれだけツライものなのか知らなかったから。でも後に自分がギックリ腰になった時は「体調のことが無ければ違う最終回になっていたのかも」と思いましたし、当時のジャンプ編集部のやり方を知ってからは「無理に連載を引きのばされて苦しんでいたんだな」と切なくなりました。

そんな「奇面組」ですが、今の若い人にオススメできるかと言うと、さすがにいろいろと古すぎるかもしれません。昭和の漫画が好きな人なら…すでに知っていそうですね。
時事ネタもだけど、当時はギャグとして受け入れていた描写が、今読むと時代遅れに感じて笑えないこともあります(女性キャラの扱いとか)昔の漫画あるあるです。

私にとって「奇面組」について考える行為は、1つの作品を数年ごとに振り返り、感じたことの違いを楽しむババアの遊びです。これは一生続けられるといいなと思います。

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コメント

  1. 匿名 より:

    初めまして、こんばんは。
    Youtube見ていてなぜか奇面組の動画がリストに上がって来て懐かしくなり、色々ググっていたらこちらにたどり着きました。
    奇面組のことを色々振り返るのは、たぶん10年ぶりくらいです。

    私も最終回に関して、あれを読んだ当時全く違和感を感じず、むしろラストの三話はどの漫画にも勝る印象深いラストとして思い出に残っています。
    批判的な意見が多かったという事実を知ったのはネットが普及してからで、当時はあれ以上素敵な終わり方は他にはないんじゃないか、とすら思っていました。

    唯目線で語られるラストに関しても同様で、この漫画の主人公は大枠で言えば奇面組5人+唯&千絵の7人だと思いますが、その中から主人公を一人だけ選べ、と言われたら、その一人は一堂零ではなく河川唯だと思うんですよね。
    少なくとも私は、当時も今もそう思っています。
    奇面組5人もしくは一堂零の存在は、河川唯という土台があってこそ存在できる人物なのではないかと。
    ちょっと話はそれますが、この関係性はドラマの北の国から(ご存知かどうかわかりませんが…)の黒板家3人(奇面組5人+唯&千絵に相当)と、黒板純(河川唯に相当)の関係に似てると思いました。
    キャストととしては父親役の田中邦衛(奇面組で言うところの一堂零)が一番先頭に来るのですが、ドラマの目線は完全に長男の黒板純視点であり、要所のモノローグもほぼ全て黒板純の語りなのです。

    ———-

    思えば奇面組は、自分にとってとても不思議な漫画でした。
    看板はギャグマンガですが、舞台となる学園生活に対する作者のリスペクトみたいなものを子供ながらに感じていて、「高校生活って、こんなに素晴らしい」というなんか裏のメッセージみたいなものを勝手に感じていました。

    リンク先のブログ主さんもやや同じようなことを指摘されてますが、新沢先生がそこまで明確な意図があったかどうかはともかく、根底にはそういう心持ちがあって奇面組を描いていたんじゃないかなぁって。
    漫画を読んでいて、特にギャグマンガを標榜する作品において、そんなことを子供ながらに感じていた不思議な作品でした。

    30年以上前の漫画が今でも静かに語られるのは、当時見ていた他の子供たちにも自分と似たような感情があったんじゃないかなって勝手に思っています。

    長文失礼致しました。

  2. ヒロコ1号 より:

    >匿名さん
    はじめまして。奇面組は今から10年前の時点でも充分懐かしい作品なので、今でも語っている人がいるのは嬉しい驚きです。同時期に少年ジャンプで連載していた漫画は、奇面組よりも世間で有名になった作品も多いので、私は奇面組が好きだけど、それ以上のビッグタイトルに比べたら知名度は低めでは?と、どうしても思ってしまうのです。

    私もあの最終回は大好きですし、新沢先生の表現が誤解を招くものだったとも思いません。
    でも今考えると、そもそも3年の第1話を読んでいなかったり忘れていた人が見れば、唐突に夢オチで終わったとしか思えないかもしれません。私は単行本も持っていて全話の内容を覚えるほど何度も読んでいましたが、その条件を読者全員に当てはめるのは酷な気もします。

    昔は夢オチだと言う人に怒り狂っていたけど、今は夢オチだと思われた理由についていろいろと考えてみるようになりました。残念ながら「北の国から」はタイトルくらいしか知らないのですが、確かに奇面組も、物語を見ている目線は唯ちゃんの視点ですね。これも第1話が唯ちゃんの視点で始まるのを知っているから、自然にそう思えるのかもしれませんが。

    連載当時の私は小学生で、奇面組の青春漫画な側面はそこまで深く理解できてはいなかったと思います(この辺は大人になってからいろいろ考えました)でも奇面組を読んで、中学や高校が楽しそう、早く行きたいという気持ちになったのは間違いありません。ギャグマンガだけどギャグ以外の何かも感じ取れた作品というのは、わりと共通の認識かもしれませんね。

  3. 板倉。 より:

    はじめまして板倉と申します。小学生の時、母に勧められビデオを借りてどはまりしては、一旦間を明け19歳頃から再び再熱して(今21です。)奇面組は私の中の永遠のバイブルや…と本気で考えているヤバい奴です笑 ブログ読みました。私もアニメ・原作持てるものは全て持っていて、その上で原作の最終回にたいしては自分としては凄く自然な終わり方というか良い終わらせ方をしてくれたなぁとすんなり受け入れていたので、この終わらせ方に批判…というか酷いオチとか言っているサイト等を見ると凄く複雑な気持ちになります。私の意見としては、というより私も夢オチならぬ、正夢・ループオチ派の人間なので、その上でやはり連載という形で始まった第一話がまず、唯ちゃんからの出だしだったから繋げ方としてはとても滑らかだと思っています。もっと簡単に言えばこの終わらせ方の方が、世界観が広がるし、連載としては奇面組は終わってしまったけど、でも貴方の中ではまだ終わっていませんだから何年経っても好きで居続けて良いんです好きって言って良いんですと、そういうメッセージ性が隠されているようで希望が持てます。あの角を曲がったらああ零君たちが…って思えて凄く素敵だと思うのです。だから私はこれからも好きで居続けますし、…..実は恥ずかしながら二次創作としてイラストや主に小説を書いていたりしています(*´-`)なので、確かにもう連載無いんや…と思うとそこは正直に悲しい(でも腰痛持ちなのにあそこまで頑張ってくれた先生には本当感謝とお礼しかありません)と思っちゃったりしていますが、でも近年になって舞台やったりまだまだSNSで同士がわんさかいたりと逆に飽きるネタがありません笑(出来れば今年のうる星やつらみたいに、アニメ化されなかった話を抜粋してやる…とかあるかもしれんと期待しています)
    今でもこれからも私はずっと奇面組の中にいたいと思っています。

    (ちなみに零君が主役ではあるけれどでも、もっと大きく言えば寧ろ唯ちゃんこそ主役なのではという考えも確かにと思いました。ありがとうございました。)

  4. ヒロコ1号 より:

    >板倉さん
    はじめまして。私がリアルタイムであの最終回を読んだ時は、インターネットが無かったので見知らぬ人の感想なんて知りようがありませんでした。私の周囲の友達もあの最終回に特に文句は言っていなかったので(今思えば、夢オチだとは思っていたかもしれませんが)当時そんなに評判が悪かったなんて本当に知らなくて、知った時は悲しかったです。

    私も、あの最終回に対する考え方は板倉さんに同意です。連載は終わるけれど、物語はファンの心の中で続いていくのだという余韻が、あの最後のページからは感じ取れます。

    今考えると、そこそこ長期の連載で途中でタイトルも変わっていることから、あの唯ちゃんの視点で始まる第一話の内容を覚えている人が割合として少なかった可能性もあります。
    ハイスクール!の単行本しか持っていない人もいましたからね。第一話の最初の唯&千絵の会話に心惹かれて、最終回がそこに繋がると分かれば叩きようが無いはずなので。

    今改めてアニメ化されるなら、私も興味があります。アニメ化されなかった話でアニメ化して欲しい話も確かにあります。うる星やつらも好きな作品なので成功して欲しいです。
    私はもう二次創作からは離れてしまいましたし、昔と比べて漫画やアニメを見ることも少なくなりましたが、奇面組は特に大事な作品としてこれからも忘れないようにしたいです。

  5. サトウヒロキ より:

    はじめましてサトウと申します。
    最終回について様々な意見があるなかで、当時小4の僕はリアルタイムであの終わり方に対して「それはないんじゃないの?」とは思いませんでした。後に最後の1コマに零くんのシルエットが書き足されたのが蛇足というのは同意です。
    実は僕が夢オチであるかないか以前に、あの最終回で一番許せない感情を抱いたのは父の琢石なんです。20年も前に亡くなっている奥さんのことを往生際悪くお医者さんに問いかけているところを唯ちゃんがたまたま傍聴してしまったことでとんでもない誤解を抱かせてしまったのですよね。まぁそれだけでなく零くんノートとのダブルパンチですから、実はとどめを刺したのは零くんのほうなんですけどWWW。お医者さん共々、唯ちゃんに誤解を与えたことを全く詫びることもないことにこそ「それはないんじゃないの?」でしたね。
    実はこれが最終回で一番スッキリしない点なのです。
    零くんは?
    見られたのが下書きだとは言え、先生へのお手紙書くには不自然なタイミングですよね!

  6. ヒロコ1号 より:

    >サトウヒロキさん
    はじめまして。私は当時は「あのラストで良かった」以外のことはあまり考えていなかったのですが、言われてみれば確かにそうですね。あと、お医者さんの話からノートの流れは、キスシーンを描くために無理やり作った感じもするなあと、今はそんな風にも思います。

    昭和の漫画なので当たり前と言えばそうなのですが、昭和時代なら許されたけど、今の感覚で見ると倫理観がおかしいように感じる描写が、奇面組にも結構あります。
    唯ちゃんの家庭環境も当時は普通に見ていたけど、今だとこれはヤングケアラーってやつですよね?役所とかに相談しろ!と思ってしまって、子供時代の楽しい思い出が台無しですw

    最終回のそのシーンも、私は言われてから気付きましたが、サトウさんは当時から違和感があったのですね。唯ちゃん、愛されているようで意外と扱いが悪いです(´・ω・`)
    ちなみにノートの文章はどう読んでも先生へのお手紙ではないと思うので、いや無理やりすぎるだろ!と、当時はあまり気にしていなかったけど、今ならツッコんでしまいます。

  7. サトウヒロキ より:

    ヒロコ1号様
    返信ありがとうございます。
    自分が抱いていた最終回への気持ちを打ち明ける場所があったこと感謝いたします。
    僕はアニメから入ったこの作品ですが、両方見終わるとアニメ側が暴走してるようなキャラの描かれ方が目につきました。作者はかなり詳細なキャラ設定の注文を出していたはずなのですが、例えば大くんはアニメで見られるほどの過激なオカマじゃないはずだし、居候の豪くんが家具を破壊していたシーンとか、あり得ない方向に走っていた印象を受けました。うしろゆびさされ組も全然ソックリじゃなかったような。。。
    しかし奇面組メンバーが基本凛々しく再現されていたという良いポイントにも気づかされます。
    最終回もいい終わり方だったと思います。
    最後にこの最終回に関する素敵な記事がありましたのでご紹介します。
    https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/03022080492ea68ce7dbeb8a1886031ed704425b

  8. ヒロコ1号 より:

    >サトウヒロキさん
    あの最終回は、ラストが夢オチかどうかについて議論されることが多いですが、他にもいろいろなシーンがありますので、隅々まで読んでいた人にとっては、もっと他の感想があっても良いはずですね。あと、その記事は私も知っています。
    もう何十年も経っているのに、まだ話題にされることが本当にすごいです。

    アニメのほうは、原作のキャラ設定を尊重していないと感じる部分もありましたが、あの時代のアニメ化にしてはまだ良心的なほうだったかなと思います。
    うしろゆびさされ組は、私は奇面組とは関係無く好きでしたが、大人の事情によるタイアップは少し強引でしたね。それでも、アニメがウケたのは主題歌の効果もある気がします。