磁気刺激治療(TMS)体験記その6/何かに打ち込んでいる人はよく自分で自分の首を絞めている

治療25回目が終了しました。回数を重ねるごとに順調に回復する人も、波がある人も、20回を越えると一気に調子が上がってくる場合が多いそうですが、私もそんな感じです。

私を取り巻く環境は何も変わっていませんし、昔の嫌な思い出も忘れたわけではありません。
でも、気分が無駄に沈み込むことは無くなって、光が見えてきたような感じです。
なんだか不思議だなあとも思うけど、まさに「脳を治療してもらった」気分です。

ちなみに、このブログの「同人活動の思い出」カテゴリでは、嫌な思い出についてもよく書いていますが、あれはトラウマであると同時に、ネタとして語ることを楽しんでもいます。
なんだかんだで、同人は私がこれまでの半生を捧げてきた趣味なので、そこで得た経験は、嫌なことも含めて自分にとって重要なものなのです。少なくとも今はそういう気分です。

嫌なこともたくさんあったのに、なぜ当時は頑張り続けられたのでしょうか?
ひとえに、尋常ならぬ同人への情熱があったからに他なりません。
でも、その情熱のせいで、異常に頑張りすぎて最終的には疲れてしまったのです。

そもそも、ツイッターに憎しみを募らせた原因も「完璧な楽しいことばかりの交流」を求めすぎたせいだったかもしれません。人間的に合わない相手に対しても「同じジャンル好き同士なら仲良くしないと!」と思い込んで無理に交流しようとしたり、同人が好きすぎるあまり同人仲間やオタク仲間というものを絶対視しすぎて疲れたのではないかと、今になって思います。

何かを好きになったり1つのことに打ち込む事は、一般的には良いことのように言われますし、私も昔はそう思っていました。でも実際は、そのせいで視野が狭くなって苦しむことになったり、無駄に人と衝突することになったりと、マイナス面もたくさんあります。

特に打ち込んでいるものも無く、物事に対して「別にどっちでもいいや」なんて言う人を、昔はいいかげんだと軽蔑していましたが、今はそれも大事なことだったのだと理解できます。
好きなことに打ち込むあまり「自分にはこれしかない」と思い込んだり、理想が高いせいで自分の思い通りにならなかった時に怒りが湧いたりするのは、とても苦しいことです。

カウンセリングでは、まず「何かに必死にならなければいけない」という思考のクセを直すことから始めました。特別な趣味なんて無くても普通に楽しく生きることはできるし、他人が自分の思い通りに動かないのは当たり前のことなのです。

そう考えると、昔は何故あんなに苦しんでいたのか、不思議に思えてきます。
SNSで腹を立てていた相手は、自分がそこまで必死に気にかけるほどの人だったのでしょうか?
嫌いな相手も、地雷な作品も、そこまで気にしてやるほどの価値があるものではなかったと気付いた瞬間、同人をやめた直後から抱いていた苦しみが消えていくような感じがしました。

長年同人活動をしてたこと自体は後悔していませんし、今ブログで語れることがあるのも良かったと思っていますが、これからまた同じことを繰り返したいかというと、今は嫌です。

今後、同人と同じくらい夢中になれることには出会えないと思うし、かと言って同人に戻りたいとも思いません。何かに必死になりすぎると、そのぶん大きく傷付けられる可能性もありますし、SNSで人嫌いになったので新しい交流も現時点では難しそうです。

なら、私はこれからどうすればいいのでしょうか?治療が終わってからが本番です。

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