同人活動の思い出/「聖域」という概念は今でも存在するのか?

二次創作をしている人は、何でもかんでも二次創作に結び付けているわけではなく、その人にとって「この作品では二次創作はしない」という「聖域」が存在する場合もあります。

まだ同人の存在を知らなかった子供の頃に好きだった作品はそういった「聖域」になりやすいですし、そうでなくても「原作が尊すぎて二次創作は見たくない」という特別な思い入れのある作品がある人もいると思います。そして「聖域」の度合いも人それぞれで、18禁は見たくないけど全年齢向なら見るとか、二次創作全般を見たくないとか色々あります。

いずれの場合も、深すぎる愛ゆえの心理です。じゃあ二次創作をやりまくってる作品に対しては愛情が無いのかと言うと、決してそうではないのです。愛の形が違うだけなのです。

私にも過去にそういう作品がありました。小学生の頃、単行本を買い揃えてアニメも毎週正座して見ていた「奇面組」シリーズです。サイトの跡地がまだ残っています→

管理人名は変わってますが、私が昔作ったサイトです。奇面組は、私がサイトをやっていた当時(2007~2009年頃)でも「すごく懐かしい!」「この作品の同人なんてあるの?」みたいな反応だったので、今はもう作品自体を知らない人が多そうです。

そしてサイトがあるということは、二次創作に手を出してしまったということで、今はもう聖域ではなくなってしまいました。人のせいにするのは良くないかもしれませんが、それまで奇面組で二次創作なんて考えたことも無かったのに、偶然ほかの人の二次創作を見つけてしまい、それにつられてウッカリ…好奇心に負けて汚してしまいました。

ですが、当時は楽しかったので後悔はしていません。それでもイラストがメインで、そこまでガッツリと二次創作らしいものは描かなかったので、その辺がまだ「聖域」感があるというか…でもまあ、自分の手で描いてしまった時点でアウトですね。

このように、せっかく「聖域」を持っていたのにみずからブチ壊す人もいますし、他の作品でどんなにえげつない二次創作をしても「聖域」だけはずっと大切に守る人もいます。

だけど今の時代は、そもそも「聖域」という概念が存在するのか?という疑問が、私の中に生まれています。昔は、二次創作が「楽しいけれど後ろめたい行為でもある」という感覚があったから「二次創作をしない作品」=「聖域」という考え方がありました。
今は「二次創作をする」=「汚す」という感覚自体が理解されない気がするのです。

「子供の頃に好きだった作品」と言っても、今は小学生がピクシブを見る時代です。

子供の頃からすでに二次創作に触れたり、自分で描いたりする環境が整っているので「子供の頃に見たもの=同人の存在を知らずに純粋に楽しんでいたもの」という図式自体が成り立ちません。
二次創作は著作権的にグレーゾーンだとか、公式のイメージを壊すものだから一般人に知られてはいけないとか、そういう考え方自体がすでに化石のように思われます。

古いタイプの同人者が、公式画像のコラージュとかトレスとか版権BLとかが注意書きも無く乱舞しているツイッターを見て「何これ…」と思うのも、単なるジェネレーションギャップに過ぎないのかもしれません。今となっては、世にある作品はすべてSNSのための素材であり、原作に対する敬意もクソもありません。コラージュなんて「同人」ですらありません。

そんな状況で「聖域」なんて言ってもなあ…と、最近は思うようになりました。
公式画像のコラージュネタに比べたら、凌辱エロ同人のほうがよっぽど愛情を感じる…かどうかは分かりませんが(・∀・)少なくとも私の知っている愛の形ではあります。

今、現役で活動している若い人には「聖域」な作品はあるのでしょうか?
そもそも「聖域」という考え方はあるのでしょうか?時代の変化に驚くばかりです。

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コメント

  1. 近代史好き より:

    十代後半の者ですが、自分には聖域という概念は今はじめて知りました。
    多分、自分と同世代の人はそういう概念は持ってないのでは無いでしょうか。

    今や、東方プロジェクトは二次創作の方が本体ですし、艦これも二次創作で成り上がった感がありますし、公式が二次創作の規定をもうける時代ですから、二次創作=汚す、と言うよりも二次創作が公式設定を上書きしかねない感じですし。

  2. ヒロコ1号 より:

    >近代史好きさん
    こんにちは。コメントありがとうございます。
    やはり聖域という概念は、すでに昔のものなのですね。

    昔は「二次創作は隠れてやらないと公式に迷惑がかかる」という認識がありましたが、今は公式と二次創作の境目があいまいなジャンルも多いですね。特に東方は、二次創作はたくさん見かけるのに原作はどこで見られるんだろう?と、探すのに苦労してしまったくらいです。

    あと昔と比べて、プロでなくても上手い絵描きさんが増えましたので、そういう人たちの絵のほうが公式より上手かったりするのも、二次創作が強くなった要因のような気がします。

  3. みーこ より:

    同人活動の思い出ブログ記事ほぼ読ませていただきました。とても興味深かったです。
    わたしは二十代前半なのですが、ツイッターのフォロワーさんに教えてもらってユーチューブから奇面組を知り、現在はまっています。ヒロコさんのサイトも見させてもらいました。
    ヒロコさんのサイトは楽しかったので、「汚す」という行為には当てはまらないと思うのですが。聖域という考えは二次創作で手を染めないという考えと知りびっくりしました。
    私は原作の素晴らしさを、他の方が解釈して別のお話や命を吹き込むのが二次創作のイメージだったので。
    もし汚すという表現をするなら、原作にはない、カップリング行為(零くん絡みだと妖くんとか豪くんとか鈍ちゃんとか邪子さんとかあってビックリ!零くんモテるんですね)で、18禁のような話が該当するのかなぁと思います。零唯は作者さんのお気に入りだから、意図しないハードな恋愛や性交渉はそれこそ作者さんが自分の作品のイメージを汚されたと思われますし。
    長々と語ってすみませんでした。
    引き続きブログと、奇面組サイトも楽しみに拝見させていただきます。

  4. ヒロコ1号 より:

    >みーこさん
    こんにちは。奇面組サイトも見てくださってありがとうございます。
    サイトにも書いてあるように今は更新停止していますが、残せるうちは残しておく予定です。

    昔は「二次創作=著作権法ギリギリアウト」みたいなイメージで、本当はダメだけど、どうしてもやりたいなら他の人に迷惑をかけないよう隠れてやろうという感じでした。
    そもそも犯罪では?とか、作者さんから訴えられるのでは?とビクビクしながらも、誘惑に負けて描いていました。昔から、二次創作と著作権絡みの騒動は何度も起こっています。

    作者さんが見逃してくれるなら大丈夫という考え方もありますが、作者さんがどう思っていようと他人のキャラを勝手に描くのはダメという考え方もあります。
    今は許してもらえていても、何かあれば削除しなければという覚悟を持ってやるものでした。

    そんなわけで、私にとっては二次創作は「聖域を汚す」というイメージなのです。
    みーこさんのような考え方は、私には思いつきませんでした。とても現代的だと思います。

    私は奇面組ではそんなにハードな内容は描きませんでしたが、数は少ないけど18禁を描いている人もいましたし、原作の雰囲気と全然違うシリアスな話を描いている人もいました。
    零くんは敵を作らない性格だし、ジャンプ漫画の主人公と考えると、二次創作でいろんな人からモテるのは不思議じゃない気がします。これは大人になってから気付きました(・∀・)